差別を止めたら究極の格差が現れたという地獄のような話

人類の歴史は差別との戦いでもある。
日本でもつい数百年前まで百姓の子供は一生百姓だったし、数十年前までどんなに優秀でも女性が総合職に就くことはほとんどなかった。
今も世界では女性というだけでほとんどの職業に就けない国も多く存在している。
 
ただ日本を始めたとした先進国では差別がだいぶ解消されてきた。
 
例えば、私の大学の女性の友人を思い浮かべてみると、ざっくり総合職は7割、一般職は2割、結婚して専業主婦は1割以下だと思う。
本人に総合職に就く意欲(と能力)さえあれば、女性でも総合職に就ける時代になったのである。
 
ところが、“差別は解消されつつあります、良かった良かった”とハッピーエンドで終わるわけではない。
 
依然として彼女達は自分と同じ程度か彼女達以上に稼ぐ男性としか結婚していないのだ。
 
その結果、周囲を見ると結婚した夫婦はたいていともに年収1,000万円近く稼いでいる組み合わせばかりで世帯年収は2,000万円近くになる。夫婦ともに中小企業勤務で給料がそれほど伸びない家庭、もしくは女性が専業主婦である家庭とは随分差がつくだろう。
 
しかし、この格差は差別の結果生まれたわけではない。あくまで性別に関係なく、実力通り給料が支払われるようになった結果、生じた格差である。
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この現象はIT化の進展で更に加速しているように思える。
 
まだ第二次産業が中心だった時代、「例え大企業のCEOだって一般社員の数百倍もの能力を持っているわけではない」として、報酬に極端な差がつくことはおかしいとする批判はある程度合理性を持っていた。
 
製造業のラインでは新人と熟練工の間で作業効率の違いが生じていたが、人間が作業する以上その差はせいぜい数倍だった。
 
けれど、これからの成長産業であるIT産業における作業効率の違いはそんなものではない。
 
例えば、35歳で他業種から転職してコードを書いているAさんは1日書けて残業もして、やっと10行のコードを書いてもうへとへと、給料分の働きなど当面は見込めないかもしれない。
 
一方、小学生から自分でアプリを作成しているBさんは1日で有力アプリのプロトタイプを作り上げてこのアプリが数年後に100億ドルの価値をもたらすといったことが普通にある。
 
出身国や国籍など本人がどうしようも出来ないことを理由に人を区別するのは差別であり、人類はこれまで多大な犠牲を払いながらこれを克服してきたが、差別を徹底的に排除し“公平に”評価した結果、人のアウトプットに数万倍もの差がつくことに果たして私達は耐えられるのだろうか。
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