まずはとにかくお金を稼ごう2

また気になる記事を見つけてしまった。

隠居系男子さんが書いた「若いうちに貯めておくべきなのは、共感や信頼であってお金ではない。」だ。

出所:

先に補足しておくと、僕はこのブログを読むのが好きだ。そうでなければRSSに登録しないだろうし、偶然この記事を読んだとしてもふーんと思ってすぐ次の記事に行くだろう。

それでも自分は「若いうちに貯めておくべきなのは、共感や信頼であってお金ではない。」という記事を鵜呑みにしすぎないようにという記事を書いておきたい。

それは共感や信頼でお金を集めることができるのはその分野のTOP1%だけだからだ。

上の記事でも例に出てくるのはスタジオジブリプロデューサーの鈴木敏夫さんと高畑勲さん、言わずと知れた日本で1、2を争う映画監督である。

きっと日本には映画を作りたいと考えている人が数万人単位でいるだろう。それでも実際にお金を集めて映画を制作して名声を高めまた映画を作ることが出来るのはせいぜい数百人くらいだろう。いや、それほど多くはないかもしれない。

残りの数万人はいつか自分もと思いながら一生絵コンテ制作の現場で仕事をすることになる。これは別に映画に興味がない人が多すぎるとか映画料金が安すぎると言った問題ではない。

もらえる給料はどれだけあなたが情熱を持っているかではなく、どれだけ世の中に必要とされていてかつどれだけ提供できる人が少ないかで決まるからだ。

繰り返すが、共感・信頼が生まれる→人が集まる→お金も集まる→作品を作れるという好循環を生み出せるの はTOP1%に限られる。それもあなたが興味のある分野がたまたまある程度の市場規模を持っていないといけな い。

映画製作で日本の上位1%に入れればそれで生きていける可能性もあるが、ペン回しで日本のTOP1%の技術があ ったとしてもせいぜいyoutubeの動画再生でお小遣い稼ぎをするのが関の山だ。

「お金だけで手に入れられるものというのは、本当に単純な物質だけ」だけなのは確かだが、今の若者にはその単純な物質が全く足りていない。

都内で快適な住居に済むには最低でも月々10万円くらいは必要だし、たまには高級レストランで外食をということであれば食費も毎月5万円くらいはほしい。

iphoneXは10万円近くするし、年に1回の海外旅行のためにも月3万円くらいは旅費を貯めておきたい。

もちろん将来のために自己投資に使う資金も必要だろう。結婚式の費用やマイホームの頭金用に数百万円くらいの貯金はないと結婚も心苦しい。

今の若者にはこれらに必要な最低限のお金が全く足りていないのだ。

だから僕は全く逆の結論の“とにかくお金を稼げ”ということを強調している。

そして月に数十万円、できれば100万円くらい自由に使えるようになったらその時初めて自分は何が好きなのか、何がやりたいのかゆっくり考えてみれば良い。

月に数十万円のお金をくれない限りたくさんのファンがいても生きていけないが、お金があればときに戦場の敵ですら食料を分け与えてくれるものである。

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まずはとにかくお金を稼ごう。

先日ネットサーフィンをしていたところ、イクメンの悩みを取り上げた記事を見かけた。

出所:
「イクメン」前提時代のもがき 育児褒められても…減った給料、消えない後ろめたさ


しかし読み進めてみると、これは育児に関する問題ではなく、日本の“年齢と労働時間で評価≒給料を決める”という雇用慣行とそれになんとなく従っている労働者という雇用問題のようである。

 

この記事で違和感を持ったのはこの表記だ。

月々の給料も残業代が支払われないため、新入社員のころとあまり変わらない額になっている。

これはどういうことなのだろうか。

年齢は31歳とあるので、大卒で働き始めたと仮定すると入社後約9~10年ほど経っていることになる。残業しなければ、給料が新入社員のころとあまり変わらないのであれば、原因は基本給の伸びが低すぎるという1点だけである。

思うに日々の生活をこなすので精一杯で、自分のスキルを伸ばし、時間辺りの付加価値を増加させ、基本給のアップを要求する→受け入れられないようであれば有力市場のトップ企業に転職する→生活費以上の収入を得て余剰資金を投資に回すという資本主義社会では当然こなすべきルーティンを実行できていないのだろう。

もちろんこれが非常に厳しい提案であることは理解している。

朝起きて勉強をしてから子供の世話をし、保育園に送り届け、仕事をし、夕食を作り、子供を寝かしつけ、また勉強してからようやく眠りにつく。。

少なくとも平日の間は自分の時間など30分だってありはしないだろう。

それでも体力が明確に落ちてくる40代に差し掛かる前に上記の行動をルーティン化しておかないといけない。

ピケティ教授が膨大な手間と時間をかけて証明したように「R(資本収益率)>G(経済成長率)」はその性質上覆らない事実であり、単なる労働者は永遠に資産家に追いつけない。

仕事はお金ではなくやりがいだという綺麗事は凡人には向かない話であり、特に若いうちはお金を稼いで投資に回す癖をつけておきたいものだ。

お金さえあれば育児に向いていない会社を辞めることも、ベビーシッターを雇うこともできるようになるのだから。

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コストを度外視すれば医療技術の発達で治せる病気は増え、平均寿命も伸びている。でも、そのコストは誰が払うの?

オプジーボという薬がある。
 
一般的に治療が難しいとされる進行・再発肺がんの生存率(1年間)が従来の39%から51%まで上昇するという患者にとってはまさに夢のような薬である。
出所:

 
しかしその分、わずか月2回の治療でかかる費用は260万円。庶民どころか並の資産家でもかなりの負担になり、“家”の没落につながりかねない価格だ。
 
もちろん日本には高額療養費制度があり、そのほとんどを税金が負担してくれるため、庶民でもこのような薬で延命することが出来る。
 
問題は差額の負担を誰が払うのかということだ。

先の記事から引用すると、
 
全国がん患者団体連合会の天野慎介理事長は「年齢で一律に治療を制限することは、では何歳からだとか不毛な議論を生むだけで危険だ」と反論する。(中略)「他に手がない患者に新薬を使わせないという短絡的な方法ではなく、真に必要な患者に薬を届けるにはどうするか、国民全体で議論してほしい」と訴える。
 
と発言されている。しかし、国民全体で議論をと言えば聞こえは良いが、例えば85歳の老人を1年間延命させるために月250万円の税金がつぎ込まれ、合計3,000万円を(主に)現役世代が負担するというのは果たして必要な措置といえるのだろうか。
 
個人的には“何歳からだとか不毛な議論”は決して不毛な議論ではなく、“何歳まで国家(政府)は国民をサポートするべきかというのはそろそろそろ無理矢理にでも白黒つけるべき問題だと考えている。
 
僕が大嫌いなのはこういう問題に対して“弱者抑圧”だとか“格差拡大”などのお題目を唱えて、現状変更を決して認めない人たちだ。※天野慎介さんを個人的に批判しているわけではない。
 
先に差額は税金で支払わられていると書いたが、別に今生きている人たちで負担しているわけではない。周知の通り、日本政府は莫大な国債を発行し続けており、税収との差は“将来”の日本国民が払うことになる。
 
選挙権がない18歳以下の国民だけでなく、まだ生まれていない来年、再来年、もしくは10年後に生まれる日本国民に借金を押し付けておいて、自分は死ぬまで高水準の治療を安価で受けたいというのは傲慢を通り越して鬼の所業である。
 
ではこれを解決する私個人のアイデアはというと、財政が保てる程度の年齢(60~65歳くらいだろうか)までは現状か現状よりやや厳しいルールの基、差額を税金で負担して、その年齢を超えたら後は個人のお金でなんとかしてくださいという平凡なものだ。
 
私はリバリアン寄りの思想を持っていることを自覚しているので、現状の制度よりはかなりの改悪となるが、この制度なら対象年齢を引き上げることで持続可能性をいくらでも伸ばすことが出来る。
 
問題はすでに選挙では現状維持を願うマス層に勝てる見込みがまったくないことだ。
 
それでは医療問題を含めた財政問題に僕達、特に若い現役世代はどう対処すればよいのだろうか。
 
答えは“制度を満喫できるギリギリまで日本に滞在し、いよいよ問題が顕在化するというときに日本を脱出する”というフリーライド戦略しかない。
 
もちろんこれは言うほど簡単ではなく、
・若い頃から海外で暮らせるだけの何らかの技術、英語力を身に着けたり、
・頼れる友人を国を問わず作ったり、
・非常時にはすぐに国外へ資金を送金できるように手配したり
する努力が必要になってくるが、仕方がないコストと割り切って早めに手を付けておいたほうが良いだろう。
 
ちなみにこのフリーライド戦略はこれほど大きな問題でなくとも、
・必要がない人でも低金利で奨学金を借りて投資に回したり、
会社に費用を負担してもらってMBAを取得してからすぐに退職したり、
・会社設立の際に市町村から多額の助成金を受けたり、
と応用が効くので色々試してみると面白いと思う。
 
特に国や市町村から提供される補助金・助成金などは絶対額が大きすぎて効率的な運営がなされていないため、個人や民間団体から借りるより金額が大きく、審査も緩いためおすすめである。
 
なお、すでにお気付きの通り、このフリーライド戦略は結局のところ、自分自身や自分の家族、せいぜい親友までの身を案じた戦略で、国外に脱出することの出来ない大多数の人にハイパーインフレという地獄を代わりに負担してもらおうという自分勝手な戦略である。
 
結局のところ、自分(に近い世代)だけはなんとかして高度な治療を受けたいと願う、今の高齢者と同じ思想になってしまうわけだが、僕達に現状の拒否権がない以上、変に真面目ぶって全面的に損を被るよりは自ら鬼となって、国外脱出によりおいしいとこ取りすべきだと思うのだが、皆さんはいかがお考えだろうか。

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僕らは人類史上屈指のベストタイミングで生きてきた。でもこれからは…?

時間軸だけが示された以下のグラフ、一体何の数字を表しているか、分かるだろうか。

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正解は日本の人口である。改めて縦軸に単位を書き入れると以下のようになる。

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出所:総務省統計局および国際社会保障・人口問題研究所
ちなみに出所を見てもらえば分かるようにこれは国の機関が発表している数値であり、“ほぼ確実に訪れるであろう未来”でもある。
 
この予測によれば、2053年、今から36年後に日本の人口は1億人を下回り、9,924万人となる見込みだ。この記事を読んでいるほとんどの人がまだ現役で活躍している36年後には人口が約15%減少するのである。
 
ちなみに読んでいる方が30歳でちょうど今年子供が生まれたとすると、2053年時点ではまだ36歳、内需を中心とした企業で働いていた場合、段階的な事業縮小と給与削減を免れることは出来ないだろう。
 
グラフを見れば分かるようにここから人口減は下げ止まること無く、彼が60歳となる2077年には7,681万人と終戦直後とほぼ同じ人口となる予測となっている。
 
グラフを見れば分かるように終戦後から2010年前後というのは戦争もなく、人口は伸び続け、どんな政策を取ろうとも人口増に牽引されてGDPも伸びるという極めてラッキーな一時期にすぎない。
 
これからは激増する社会保障費に対応するため、ますます税金は上がる割に子育て関連には多くの予算が回されることもなく、このグラフ通り、もしくはそれ以上のスピードで人口が減少していくことだろう。
 
このグラフから非常に残酷な一つの事実を読み取ることが出来る。
 
日本はオワコン、少なくとも子供の代からは居住国を移ろうということだ。
 
現在も2,500万円以上の年収を稼ぐ人の基礎控除を廃止する検討がされているように、

日本は努力で稼いだ人も含めて遠慮なく収入に課税するようになっているので、基本的にはタブーとされている資産税もそのうち始める可能性が高いだろう。
 
たまたま20世紀後半の日本という人類史上でも屈指の幸運な時期・場所に生まれ育ったとしても、これからもそこで生きなければいけないという縛りはない。
 
家のために国境を超えて政略結婚を繰り返した中世ヨーロッパの貴族のように、個人や家族のために国境を超えてどの国で暮らし、どの国に投資し、どの国でリタイア生活を送るのか真剣に考えるべき時代なのだ。
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あなたが中流家庭出身なら大学付属校はお勧めしない

アベノミクスでやや景気が改善しているとは言え、デフレが続く昨今、大学選び、就活、婚活住居選び、などでコスパを重視する傾向が強いようだ。
 
大学受験であれば仕事に困らない医者を、婚活であればダブルインカムが期待できる共働き志向の女性を、住居選びであればある程度資産性を保てる都内のタワーマンションを、という流れ。
 
そして大学受験をしないが故に特に英語や理系科目で受験組と差のつきやすい大学付属校は学費の高さとあいまってコスパが悪いのではないかと見る向きもある。
 
これはまったくもって事実だろう。
 
教育にコスパを求めるなら学費が大幅に安く、かつしっかりとした進学実績を誇る、都立高校、具体的には都立日比谷中学高校あたりの学校から国立医学部に進学するのが一番だ。
 
それではなぜ一部の層に大学付属校が人気なのだろうか。
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その前に、なぜ多くの親が子供に進学校に、その後できるだけ良い大学に行ってほしいと願うのか考えてみよう
 
端的に言えば将来お金を稼げるようになって欲しいからだろう。もう少し具体的にすると、年収1,000万円以上の職業に就くことがゴールになっていて、進学校のなかでも特に上位層にあたる医者や弁護士になれば、年収2~3,000万円も夢ではない。
 
もちろんこれはすごいことだけれど、それでも自分が働いて生活費を稼ぐという労働者スタイルであることに変わりはない。
 
一方、本物の資産家というのは考え方が全く異なる。
例えば、100億円の資産があれば実質利回り4%だとして毎年4億円の収入がある上、米国優良株や都内の一等地の土地であれば資産そのものも毎年105億円、110億円…と値上がりしていく。
 
こういう資産を持つ人達にとって年間百万円程度の学費は日々のお買い物で消費するのと変わらない金額で、子供がニートになるかもしくは医者or弁護士になるかで生じる数億円の生涯賃金格差も“我が子が幸せならどっちでも良いわ”という些細な金額にすぎない。
何しろ何もしなくとも毎年配当や家賃として入ってくる収入程度の金額なのだから、死ぬ気で勉強してさらにその後数十年も働いて稼ぐ必要性など感じるわけがない。
 
であれば、多少学力が低くとも、学習院小学校や慶應幼稚舎,青山小学校に入学してもらって同じような家庭の子と友達になってもらったほうがお互い仲良くなりやすいだろうし、嫉妬でいじめられることもないし、大人になったときに大きなビジネスに繋がるかもしれないということで都合が良いのだ。
 
逆に言えばそういう家庭の子供以外はどれだけ大変でも、中学受験、大学受験を通じて実力を身に着けたほうが将来の資産形成に大いに役立つだろう。中流家庭に生まれたのならその現実を直視して、できれば医学部、それがどうしても難しければ理系に進学してなんとか1代で資産家になれるように頑張っていこう。
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結果ではなく過程を楽しむ

すべての基礎となる基本知識・職業の前提となる専門知識がしっかりと身につくまで、具体的には小学生から大学生までは結果を優先して周りの人と競争する経験が重要だ。
 
しかしその先は結果ではなく自分が好きなこと・興味のあること・自然と努力できることに注力し、日々の過程を大切にする必要がある。そうでないといつまでもたっても特に好きなわけでもないが、世間体が良くて、待遇も良い、つまり優秀な人が数多く集まる最激戦区=レッドオーシャンで戦うことになってしまう。
 
例えば、よくあるケースが著名な進学校から東大に進学し、三菱東京UFJ銀行に就職するケース。人生の勝ち組だ!と思うも、平日は仕事だけで疲れ果てるほど頑張ってもメガバンクには先輩にも同期にも後輩にも東大卒の人が多く在籍しており役員クラスまで出世するのは運も含めて大変な努力を要する。
 
周りと差をつけようと、もしくは外資企業に転職しようと一念発起して社費なり私費でアメリカのMBAに留学したとしよう。
そうすると今度は帰国子女の東大理系院卒で卒業後は外資系投資銀行でバリバリ働いてきましたみたいな日本人や学部時代に会社を立ち上げて3億円でExitしましたみたいなスタンフォード大学卒のアメリカ人や幼い頃から数学が得意でGMATは800満点でしたみたいなインド人に囲まれて競争することになる。
 
それでも仮にこの人が非常に優秀かつ大変な努力家でこのMBA課程を上の下くらいの成績で卒業し、コンサルティング会社に転職できたとしよう。
 
ところがコンサルティング会社は意外にもそれほど給料が良いわけではなく、30代ではせいぜい2,000万円程度だ。手取り1,500万円の家庭では毎年500万円を貯金するくらいが精一杯だろう。しかも彼らの多くは住宅やら車やら子供の教育費に多額のお金を消費し、500万円も貯金できない家庭も結構多い。
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一方、ここまで頑張ってきた人には非情な知らせだが、世の中には生まれながらにして資産家の家庭に生まれた人も意外に多く、実は彼らのほうが圧倒的に経済的余裕がある。
 
例えば実家に10億円の資産があれば保守的に利回り4%で回していたとしても毎年4,000万円の配当収入がある。おまけに配当への課税は原則20%だから、手取り収入は3,200万円もある。労働は暇つぶしのためにしているようなもので、両親が本格的に引退する40代でアーリーリタイアする人も多い。
 
東京にはこんな感じで特に一生懸命働いているわけでもないが(彼ら自身は公務員として働いているケースが多い気がする)、年間数千万円を好きに使えるなか、特にプライドや見栄もないためその大半を再投資に回す家庭が結構存在している。
 
さらに海外に目を向けると相続税がない国も多く、資産家の一部は日本の資産家とは比較にならないほど裕福である。
 
そんなわけで特に勉強や仕事そのものが好きなわけではない人が努力の先には名声と経済的成功が待っていると意気込み、死ぬほど努力するのははっきり言って割に合わない。
 
あなたがどれほど努力しようとも世の中には信じられないほど“運が良い人たち”が一定程度存在していて、勉強や仕事の過程そのものではなく、結果に執着してしまうと彼らとの差に絶望するばかりだ。
 
厳しい営業ノルマを乗り越えた達成感、工夫と努力を重ね合格通知を受け取ったときの高揚感、難しい交渉を行った相手から信頼を勝ち取ったときの充実感、そういった過程を大切に仕事を行うことを心がけたい。
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差別を止めたら究極の格差が現れたという地獄のような話

人類の歴史は差別との戦いでもある。
日本でもつい数百年前まで百姓の子供は一生百姓だったし、数十年前までどんなに優秀でも女性が総合職に就くことはほとんどなかった。
今も世界では女性というだけでほとんどの職業に就けない国も多く存在している。
 
ただ日本を始めたとした先進国では差別がだいぶ解消されてきた。
 
例えば、私の大学の女性の友人を思い浮かべてみると、ざっくり総合職は7割、一般職は2割、結婚して専業主婦は1割以下だと思う。
本人に総合職に就く意欲(と能力)さえあれば、女性でも総合職に就ける時代になったのである。
 
ところが、“差別は解消されつつあります、良かった良かった”とハッピーエンドで終わるわけではない。
 
依然として彼女達は自分と同じ程度か彼女達以上に稼ぐ男性としか結婚していないのだ。
 
その結果、周囲を見ると結婚した夫婦はたいていともに年収1,000万円近く稼いでいる組み合わせばかりで世帯年収は2,000万円近くになる。夫婦ともに中小企業勤務で給料がそれほど伸びない家庭、もしくは女性が専業主婦である家庭とは随分差がつくだろう。
 
しかし、この格差は差別の結果生まれたわけではない。あくまで性別に関係なく、実力通り給料が支払われるようになった結果、生じた格差である。
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この現象はIT化の進展で更に加速しているように思える。
 
まだ第二次産業が中心だった時代、「例え大企業のCEOだって一般社員の数百倍もの能力を持っているわけではない」として、報酬に極端な差がつくことはおかしいとする批判はある程度合理性を持っていた。
 
製造業のラインでは新人と熟練工の間で作業効率の違いが生じていたが、人間が作業する以上その差はせいぜい数倍だった。
 
けれど、これからの成長産業であるIT産業における作業効率の違いはそんなものではない。
 
例えば、35歳で他業種から転職してコードを書いているAさんは1日書けて残業もして、やっと10行のコードを書いてもうへとへと、給料分の働きなど当面は見込めないかもしれない。
 
一方、小学生から自分でアプリを作成しているBさんは1日で有力アプリのプロトタイプを作り上げてこのアプリが数年後に100億ドルの価値をもたらすといったことが普通にある。
 
出身国や国籍など本人がどうしようも出来ないことを理由に人を区別するのは差別であり、人類はこれまで多大な犠牲を払いながらこれを克服してきたが、差別を徹底的に排除し“公平に”評価した結果、人のアウトプットに数万倍もの差がつくことに果たして私達は耐えられるのだろうか。
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